― 普通の人がもっと国会議員にならないと ―

☆痛恨の極み

参議院議員選挙が終わりました。様々な意味で残念な結果に終わったわけですが、私の立場からは、とりわけ構成組織の仲間が擁立した比例候補のうちのお二人が目的を達せなかったこと、そして連合奈良の西田一美さんも惜敗に終わってしまったことは断腸の思いです。多くの有為な推薦候補も残念な結果を余儀なくされました。精神力と体力の限りを尽くして挑んできた候補ご本人と、連日連夜、支援の拡大に汗をかいてきた仲間の皆さんのことを考えると、まさに痛恨の極みです。

政権を下野して以降の長期にわたる民主党民進党の退潮と分裂の流れから、今回の選挙結果も懸念されていたことではありました。立憲民主党・国民民主党の力合わせの姿が、与党との間で互角の「勝負になる」という有権者全般の受けとめにまで到達しなかったことは、やはり全体情勢に響いたと思います。そして、比例選挙の得票数もそのひずみを強く受けたところです。

この間、両党に対しては陰に陽に力合わせを促してきました。昨年の11月30日と今年の6月6日の連合の中央委員会では枝野・玉木両代表の握手の場面も実現しました。地方連合会が大変な汗をかきながらの一人区での候補の一本化は、そのような営みのなかでのものであったと思っています。

政党間の力合わせがもう少し早く、そしてもっと本格的になっていれば、と思わざるを得ません。投票率の低下にも象徴されるように、有権者の意識はさらに政治から遠ざかってしまい、そのもとで一強政治の継続にも歯止めがかかりません。

  

☆普通の人がもっと国会議員にならないと

こんなことは繰り返したくないと思います。

しかし今の政治の流れでは、また同じことを繰り返す恐れがあります。

さまざまな観点で、原点に返る必要があると思います。

いつから政治はこのように、普通の庶民から遠い感覚の世界になったのか、いつからこのように多くの有権者からかけ離れた存在になったのか、原点に返って問い直す必要があると思います。

働く者の集合体である連合は、多くの有権者の意識を代弁すべき存在でもあると思っています。これまでの流れの延長線上でずるずると進むのではなく、そもそもの政治との向き合い方から問い直していかなければなりません。

そうしなければ、普通の感覚を持った普通の人たち、普通のサラリーマン・サラリーウーマンを数多く国会に送り出すことは困難だと思います。

もう一度、一から積みあげていかなければなりません。

― よくある疑問にお答えします ―その②

☆大きな違いが目立たずに小さな違いが目立たせられる

 連合はときどき「原発推進派」のレッテルを貼られます。全くの誤りです。連合はあの東日本大震災福島第一原子力発電所の事故という事態を受けて、およそ半年間の大議論の末に、「最終的には原子力エネルギーに依存しない社会をめざしていく」ことを組織全体の政策として確認しています。一部のメディアや政治家は「電力総連をはじめとした関連産業の労組を抱える連合は原発推進派」という決めつけを好んで行うようですが、まったくもっておかしな話です。そういう決めつけには、一種の分断を図りたいという意図があるのではないかという疑念さえ持たざるを得ません。

 加えて、野党の間の小さな違いが好んで取り上げられます。そのため、政府の原子力継続政策との間の大きな違いは埋没します。野党のバラバラ感だけが目立つのです。喜ぶのは政権与党です。

  

☆無責任な対応は将来世代に禍根を残す

 無責任な対応は将来世代に禍根を残すという意味では、これも、社会保障を支える負担の構造の問題と似ています。どうすればわが国のエネルギーを将来にわたって確保し、国民の生活を守り、産業の発展を確保できるのかという、そのグランドデザインが不明なままです。

 政府与党は原子力エネルギーを使い続けると言っているのですが、発電所の新増設は明示していません。一方の野党の側には、原発ゼロに向けた具体的な工程表と足もとの対策の確立を求めたいと思います。霞ヶ関の官僚の皆さんが、政策立案に必要な情報を提供することも不可欠です。

 「原発ゼロ」と叫ぶことによって、「リスクゼロ」を即時に確保できるという錯覚は、一定の範囲の有権者には与えられるかもしれません。しかし、それはあまりにも無責任な所業です。停止中の発電所にも燃料棒は保管されたままであり、稼働しているいないに関わらずリスクは共通です。圧倒的に多くの国民は、将来に向けた処方箋が示されていないこと自体に不安を抱え続けているのです。

  

☆「民主」が消える危機

 いわば私たちが持ち続けている考え方は、かつての「民主党」の持っていた政策・理念そのものであるといっても過言ではありません。原子力エネルギーについても、そもそも当時の民主党政権があれだけの苦労を重ねながら、そして侃々諤々の議論を経ながら一つにまとめた政策を、正面から受け止めてきたつもりです。

 いくら安倍総理が「悪夢」と言おうとも、いやむしろ言えば言うほど、旧民主党の方々は自信をもって自分たちの信念を貫いてもらいたいと思いますし、そこに余計なバラバラ感をはさみこまないでもらいたいと思うのです。

 ここ当面の政治状況は、「民主」が消える危機すらはらんでいると思います。

― よくある疑問にお答えします ―その①

☆政治との関係ばかりで取り上げられるのはいささか心外なのですが…

 時節柄、政治に関する報道が多くなっています。そういうなかで連合も何かと取りざたをされますが、私たちは基本的に、労働運動に日々のエネルギーを割いている存在なので、政治ばかりやっているような取り上げられ方はいささか心外です。

 しかし、働く者の政策実現に懸命に努力していることも事実ですし、つくられたバイアスで誤解ばかりが流布することは看過できません。本ブログではここ当面、よくある疑問にお答えしていきたいと思います。

 

☆連合は消費増税をよしとするのか?

 最近この疑問をなげかけられることがときどきあります。

 確かに、立憲民主党・国民民主党は10月の消費税率引き上げに反対の姿勢を示しています。連合は、社会保障の安定的な財源確保のため、消費税率の引き上げは着実に実施すべきであると、かねてより主張していることから、そうした疑問が生じることは理解できないものではありません。

 一方で、私たち連合は、立憲民主党・国民民主党両党とは昨年11月に「つづく社会・つづけたい社会」というキーワードを軸とした政策協定を結んでおり、中長期的な問題意識は共有しているつもりです。

 現在の両党の主張は、経済環境の先行きが不透明ななか、増税が家計や雇用にまで悪影響を及ぼしかねない危惧から来ているものと受け止めています。

  これに対して、今現在、政権与党によって進められている10月引き上げに向けた一連のプログラムは、2012年の三党合意の内容を捻じ曲げたことや、逆進性緩和の観点で問題が大きい軽減税率、中小企業の営業面に影響の大きいキャッシュレス・ポイント還元等の邪道をセットにしたことなど、非常に問題があり、今からでも本来のあるべき姿に修正すべきだと思っています。

 

☆重要なことは将来像を示すこと

 しかし、もっと重要なこととして、国政選挙で信を得ようとする政治家の皆さんに強調してもらいたいのは、「負担と給付の将来像」を示すべきということなのです。

 仮に消費税が10%になって、それ以降はどうなるんですか? その姿は明示されていないではありませんか? 必要な財源を確保するためには、消費税以外にもいろいろやるべきことがあります。そもそも金融所得課税や資産課税の議論は遅れたままですし、法人税のあり方も再検討すべきです。もちろん成長戦略も重要でしょう。しかし、一千兆円を超える借金を将来世代に残してしまったこれまでの無責任な政治だけは繰り返してほしくありません。

  立憲民主党・国民民主党には、目先の問題だけを目立たせることなく、このような次元での政府与党との論戦を期待したいと思います。

あなたの労組の葛藤は?

 季節は初夏に入ったが「春闘」はまだ継続中である。連合の春季生活闘争の集計でもまだおよそ四分の一の仲間が交渉中である。マスコミの扱いはもうとっくに終ったモードであるが、実際にはまだまだ奮闘中なのだ。

 報道ではもう一つ大事なことが伝わっていない。今年の集計では一貫して100人未満の組合のベア率が昨年のそれを上回っている。さらに特筆すべきは大手組合のベア率をも上回っているのだ。もちろん絶対水準の格差はまだ大きいし、要求水準との乖離も直視しなければならない。しかし60年を超える春闘の歴史が始まって以来おそらく初めてであろうこの傾向が世の中に伝わらないことは本当にもどかしい。

 「春闘」は日本全体の壮大なイベントであるが、それを構成しているのは一つひとつの労働組合であり、それらが取り組んでいる一つひとつの労使交渉に他ならない。そして日常の問題も含めてそれら組織の中には様々な葛藤がある。人員削減や処遇の切り下げ等、守りを余儀なくされる場面にあってはなおさらだ。しかし現象面ですら伝わらないのだから、それら内なる葛藤が世に伝わることはほとんどない。

 親しい映画監督に私たちの葛藤をドラマに表現してもらえないかと相談したことがある。企画書があれば検討しますよとまで言ってくれたが、当方にその才と時間がない。人間としての苦悩や喜び悲しみ、仲間との連帯のありがたさ等々、これからも伝える努力は模索したい。メディアの世界の方々とも連携していきたい。

 ところで、メディアの労働組合自身にも様々な葛藤があると伝え聞くが、世に伝えられるのは表面部分のみで、深淵のところは闇の中だ。その一方では根強い大企業労組への批判的論調がある。私自身大企業労組の出身であるが、産業そのものの存廃が問われる状況のなかで数々の葛藤を繰り返してきた。そして今現在の立場は当然のことながら明確に中小優先である。政策は未組織労働者ファーストである。だからこそ連合加盟の大企業労組が供給してくれる厚みのある人材と財政支援はまことに貴重である。自分さえよければいいという独立の大企業労組とはわけが違う。

 そういった事実を捨象した、「大手」新聞の一部で繰り返される批判は何を目的としているのだろう。ローブローを含んだボディーブローの繰り返しは確実に労組のイメージを低下させる。一強政治を尊ぶ人たちは陰でほくそ笑んでいることだろう。

 

解散風は誰のため?

 週明けからまた解散風とやらが吹くのでしょう。しかしよく考えればおかしな話で、当たり前のように解散風が報道され、そしてそのあとから「大義」が模索される。

 本来であればどうしても民意が問われなければならない問題が湧きおこり、やむにやまれず国会が解散され、総選挙という、全ての衆議院議員を選びなおすという大騒ぎに突入するということだと思うのですが、本当にそこまでやらなければならない理由があるのでしょうか?

 今のうちであればそれなりの内閣支持率があり、今のうちであれば野党の体制が整っておらず、今のうちであれば令和効果も残っているということなのでしょう。そしてこれからの外交日程はトランプ来日(天皇陛下との会見、大相撲観戦、ゴルフ交流等も)、G20、各国首脳との会合等、見せ場が続出ですから、その浮揚効果があるうちにということも容易に想像されるところです。

 でもそれって何なのでしょう?参議院選挙では民意を問えないのでしょうか?同日選をやるためにひねり出される「大義」とはいったい何なのでしょうか?

 解散風は誰のためにあるのでしょうか?

― やっぱりか…自説を修正できないマスコミ報道 ―

☆デフレ下の春闘では初めての現象

4月5日金曜日夕刻、連合本部で今春闘の第三回集計内容(4月3日時点)が発表されました。

いつもこの時期、期待と懸念が交錯する回答集計なのですが、今回二つあった懸念は、一つは杞憂に終わり、一つはやっぱりか、という結果になりました。

杞憂に終わったのは回答集計そのものの結果です。今回、デフレ下の春闘として明確な賃上げを継続している2014年以降では初めての現象、初めての成果を、下記のような形で手にすることができたのです。

  1. 第三回集計の賃上げ幅が第二回集計のそれを上回った。(通常、後続の賃上げ幅は低下する傾向にあった)
  2. 300人未満規模の賃上げ幅がこの間で過去最高となった。(消費増税翌年の2015年水準をも上回った)
  3. 100人未満規模の賃上げが、それ以上の規模のところの結果を率・金額ともに上回った。(つまり、100人未満の小さな規模の労組の賃上げ幅が全体のトップに躍り出たということ) 

私たちが方針で掲げた様々な打ち出しが、組織のなかでは着実に浸透してきたことのあらわれだと思います。

 

☆デフレ下の春闘では初めての現象

もう一つの「やっぱりか」は、報道の状況です。思い起こせば3月13日段階で出された集中回答日前後の報道は、「縮むベア」や「前年割れ続出」といったマイナスイメージの大見出しが踊っていましたから、もともと、この印象をくつがえすのは容易ではないと思っていました。

しかし、明らかに当初まき散らされた印象と、その後の実際の傾向は異なっているのです。3月15日の第一回目集計では昨年とはイーブン、3月22日二回目集計ではやや遅れを取りましたが、三回目は前年を凌駕。そして、特筆すべきは小規模労組の健闘なのです。

やはり、どうしても従来から報道対象が一部に偏るという春闘報道そのものの問題と、編集と見出しをつける人の固定的なスタンスという呪縛から抜け出せないのでしょう。前述の特筆すべき内容を伝えたのはほんの数えるほど、それもいわゆるベタ記事で申し訳程度のものです(報道しないよりははるかにマシですが)。

マスコミは、いったんこさえた自説は修正できないものと、私たちは思っておかねばならないのでしょうか? 

 

☆労組のあるなしで差が拡大する恐れ

春闘報道の持つこのような性格は、結果として、わが国の格差拡大を助長する結果を生み出しているとは言えないでしょうか?

私たちは、連合の組織のなかで今回の集計結果を拡げていきますから、後続部隊は力を得て交渉に活かしていくことができます。しかし、そのような情報ルートを持たない人たち、圧倒的多数の労働組合を持たない人たちは、置き去りになったままです。情報化社会という言葉自体が古臭くなったとさえ言えるような今日ですし、欲しい情報はいつでもどこでも得られるのでしょうが、人々が実際に手にしている情報は、実は世の中全体のなかでの偏った一握りのものでしかありません。 

 

☆PRの模索は続く

言うまでもないことですが、賃上げの成果獲得が連合のなかだけでおさまっているのでは意味をなしません。日本全体に拡がらなければ、本来の「春闘」とはなりません。

かつてインフレ前提の環境条件においては、物価上昇が目の前にありましたから、労組のない企業の経営者も、たいがいは賃上げを実施しました。しかし、今は物価上昇というわかりやすい根拠が希薄です。だからこそ情報が有用であり、そして報道が重要なのです。

もちろん、私たち自身も手を拱いているだけではダメです。報道に対してブツブツ文句を言うだけでは解決につながりません。ホームページで公表をし、SNSで拡散に努めています。

しかしまだまだです。PRのノウハウ模索は途半ばです。近々PRの大家に指南を仰ぐこととしています。

― 自縄自縛の春闘報道 ―

☆第1回の連合賃上げ集計は前年同水準

15日金曜日夕刻、連合本部での記者会見で今春闘の第1回集計内容が発表されました。回答が報告された賃上げの加重平均は2.16%。そして、この2.16%は奇しくも昨年同時点と全く同じ数字となりました。

関心を持ってみておられる皆さんからすれば「えっ?」と思われたかもしれません。13日のいわゆる集中回答日前後に文字通り集中した報道は、「縮むベア」だの「前年割れ続出」だの、これでもかこれでもかというマイナスイメージの大見出しが踊っているのですから無理もありません。この2.16%はいわゆる定昇込みの数字ですから、もう少し分析・深掘りは必要ですが、最も一般的に取り上げられる賃上げ水準の集計が、昨年と同率になっていることは紛れもない事実です。

報道と現実との間に、なぜこのようなかい離が生じてしまっているのでしょうか? すぐ思いつく理由が2つあります。

<理由その1>…報道そのものが一部に偏っているからです。

物価上昇が明確にあった時代の春闘は、リーダー的な産業・企業の回答が出れば、事実上、それで全体が決まったという感じもあったでしょう。「天井」のようなことにもなったでしょう。しかし、今は全くそういうことではありません。リーダー的存在や親企業の賃上げ水準を上回る例は、当たり前のように出てきているのです。産業分野ごとにみても、情報、外食等のサービス産業や公益関係等の今回の回答は、全般的に昨年の賃上げ水準を上回っています。しかし、報道が全体に及ばないので、これらの内容はあまり大きく取り上げられません。

<理由その2>…編集と見出しをつける人のスタンスの問題です。

一線の記者の皆さんの多くは、前述のような、今の春闘の特徴に関する認識は持っておられると思います。しかし、それをどう取り上げるかは、その上の人たちの判断に委ねられます。そして、見出しをつける人たちの権限は、大変大きなものがあると聞きます。心配なことは、その方々がどういうスタンスで方針を決め、見出しをつくるのかという点です。読者に「なんだよダメじゃないか」とか「ひどいなあ、あきれた」という反応をさせたい場合も多々あるのでしょう。加えて、ネットメディアに取り上げられるためには、平凡な見出しはアウトという事情もあるのかもしれません。しかし、事実を正確に表現するよりもそちらの方に重きが置かれるとすると、事は重大です。春闘報道でそれをやられると、格差拡大を助長することにもなりかねないのです。

 

 

☆世の中を冷やしたい理由があるのでしょうか?

先述のように、現時点で昨年と同水準の賃上げが実現しているのですが、15日の連合集計第1回目のこの内容はあまり大きく取り上げられていません。マスコミにとっては不都合な真実なのでしょうか? 「下がった下がった」と際立たせて、何かいいことがあるのでしょうか?

昨年を振り返ると、第1回集計の2.16%は7月の最終集計では2.07%となりました。一般的には、後続の数字は低めになりがちなので、少しづつ水準は低下していくのが通例ですが、しかし連合として格差是正を強調して以降、この開きは年々縮まってきています。今は、この2.16%を「土台」にしていこうと掛け声をかけており、できれば最終集計は逆転するぐらいのことを目指したいところです。それだけに、マスコミ報道があおる逆風はまことにしんどい限りです。

それでも連合組織のなかでは実態を粘り強く伝えていくことで、なんとか耐えていきたいと思いますが、圧倒的に多数の労働組合のない職場においては、この逆風の風圧を跳ね返すすべがありません。労働組合のない企業の経営者のなかには「下がった下がった」の報道をうまく利用する人もあるでしょう。働く者一人ひとりにとっての展望はひらけないままであり、経済の好循環など夢のまた夢。自縄自縛を繰り返すのみです。

 

 

☆まことに結構なシナリオづくり?

ここに至るまでの春闘報道で、私が既に辟易していることがあります。それは「昨年までは官製春闘だったが、今年は違う」というストーリーです。

「官製春闘」など、もともとないのです。あえていうならば「政労使春闘」です。2013年と2014年の秋に行われた「政労使会議」のなかで、政府と連合と経団連はじめとする経済団体との間で、賃上げの重要性に関わる認識を一致させて以降の現在の流れがあるのであって、まるで財界が総理の言いなりになっているかのような「官製春闘」などという表現は、百害あって一利なしのフェイクなのです。各労使は、どちらも大変な苦労の交渉の末に賃金決定をしていますから、忌々しい思いを持ってマスコミを見続けていましたが、官邸は悪い気はしなかったでしょう。マスコミのおかげで、「安倍総理のおかげで賃上げが進んでいる」と、大半の国民が思い込むようになったのですから。

そういう、もともと実態としてなかった「官製春闘」なのに、たまたま総理が数字の%を言っていないからといって、殊更に今年が「脱・官製春闘」だなどというのですからさらに困ったものです。私たち労使は役者ではないので、勝手なタイトルと後付けの脚本によって、観客(真の情報に接する機会のない多くの国民)が惑わされる現状は迷惑千万と言わざるを得ません。

後付けの脚本は今後どういうかたちでつくられるのでしょうか? 「やっぱり総理がねじ込まないと賃上げは進まない」というものでしょうか? 「経済界は内部留保を貯めこむだけで自分のことしか考えない」というものでしょうか? はたまた「ストライキもやれない労働組合はだらしない」というものでしょうか?

官邸にとってはまことに結構なシナリオなのかもしれませんが。

 

 

☆究極の自縄自縛は・・・

政権与党にとっても、選挙のことを考えるとまことに結構なシナリオかもしれませんが、国民のこと、経済のことを真剣に考えるならば、こんなことを繰り返していたら日本はおかしくなります。だいたいこの2%程度の賃上げにしても、それを実現できているのはおそらく日本の半分にも行き届いていません。本来暖めなければならない空気が逆に冷やされるようでは、お先は真っ暗と言わざるを得ません。日本経済の自縄自縛です。

一方で、マスコミも自縄自縛ではないでしょうか? そもそも春闘報道自体が、関心のある人だけにしか伝わっていないような気がします。新聞はある程度、ボリュームを割いて扱っているけれど、果たしてどこまでの層に拡がっているのか? テレビやネットメディアの扱いは、さほど多いとも思われません。

関心を持っている人は新聞を丁寧にチェックしていますが、その関心のある人たちの疑念や嘆きが、年々積み重なっています。