― 若い人たちに語り続けたい ―

☆学生たちからの反応

先週は山形大学、その前の週は埼玉大学佐賀大学ということで、ここのところ相次いで大学で講義をする機会に恵まれました。連合は教育文化協会とともに全国の20の大学で寄付講座を開設しています。その他に私が理事長を兼務している全労済協会でも、慶応義塾大学、中央大学で寄付講座を開設していることから、私自身、最近は若い人に接する場面が多くなり、非常に有難いことだと思っています。

若い人たちの反応・くいつきは年々高くなっているように感じています。講義が終わった直後にも、何人かが質問や感想を述べに来てくれることがしばしばあります。そして、そんななかで時折あるのが、労働組合っていろいろなことをやっているんですね。野党の応援ばっかりかと思っていました」という感想です。

あらためてマスコミ報道の影響力の大きさを感じます。考えてみれば確かに、「連合」を紹介するときに「旧民主党の最大の支持母体の連合」という、余計な修飾語が頭にくっついているケースがよくあります。私たちは「母体」でもなんでもないし、政治ばっかりやっているわけでも全くありません。

もちろん春闘働き方改革もそれなりに報道はされるものの、このへんのテーマは官邸の巧みなマスコミ対応も功を奏していて、若い人たちには、お上から与えられているものという解釈が流布しているフシがあります。そんななかで若い人たちの先ほどのような反応は無理のないことなのかもしれません。

たとえ不慣れなにわか大学講師であっても、たとえ時間のかかる地道な積み重ねであっても、これからを生きる若い人たちに、本来の労働運動の大事さを感じ取ってもらう取り組みは限りなく重要だと感じています。

 

 

☆なんでこうなってしまったのか?

もちろん政治との関係も正しくお伝えしていかなければなりません。私の講義は「働くことを軸とする安心社会に向けて」というタイトルで、「労働組合とは?」という基本論や連合の政策パッケージの骨を一通りお話した後に、「私たちはどういう社会に生きているのか?」、「将来を展望するときに何が課題か?」という、私自身が最も若い方々にお伝えしたいメインのお話をさせてもらっています。

「今」の断面だけをみれば、私たち日本人は、世界のなかでも極めて恵まれた状況で日々の生活を送っています。テロも戦争も飢餓もありません。格差拡大の問題や災害の心配はつきまといますが、多くの人々は豊かな暮らしを享受しているといえましょう。しかしここから先はどうなのか?

1,000兆円を超えて、なお積み上がる財政赤字や、将来構想を欠いた社会保障と税制、激変の進む雇用構造と脆弱なセーフティーネット・・・。

そして、本来であればこれらの政策課題を直視すべき政治(与野党)の惨状と、それを許してしまっている有権者の問題。年々低下する一方の投票率、とりわけ若年層の投票率は30%台になってしまっている現状等々。なんでこうなってしまったのか・・・。

そして、必ず付け加えます。「投票率が低いからといって、あなた達を責める意味で言っているのではないのです。私を含めた上の世代がこういう国、こういう雰囲気の社会にしてしまったのです。だからあなた方は知らず知らずのうちに、こういう社会の空気に染まってしまっているのだということを認識してほしい」と。

先進諸国のなかで際立っているわが国の主権者教育の遅れは深刻だと思います。負の遺産若い人たちに負わせてしまっているのです。

 

 

☆主役は誰なのか?何をすべきなのか?

最近の政治の問題を考えるとき憂慮せざるを得ないのは、主役が誰か?あるいは、主役は何をすべきなのか?ということが、どんどん曖昧になっているということです。

政界の様々な動きの主役は、個々の政党や政治家でしかありえません。私たち有権者の立場は「観客」であり、また、ときに「応援団」です。しかし、どうも最近の主役の方々は、観客や応援団が自分たちに何を求めているのか、どういう姿を見たいと思っているのかが、あまりよく理解されていないように思われます。

私たち有権者は一方で、政治家を選ぶときは主役です。その役目は果たさなければなりません。どういう政策を実現してもらいたいのか。どういう人にがんばってもらいたいのか。はっきりと意思表示をしていかなければなりません。しかし、その「主役」を演じるべき権利と義務を、年々、ないがしろにしてしまっています。

お互いのこの曖昧さが何をもたらすのか、行きつく先に何が待ち受けているのか、若い人たちに語り続けたい、問い続けたいと思います。