自己責任論に沈むニッポン

☆選択肢がこれでいいのか?

 今朝の新聞に載っていた共同通信参院選立候補者アンケート、ご覧になった方も多いと思います。私が「おやっ?」と思ったのは、「参院選後に最優先で取り組むべき課題は何だとお考えですか」の選択肢です。少し長くなりますがそれを全て記載すると、「新型コロナウィルスの感染防止策」「景気対策」「財政再建」「年金、医療など社会保障」「子育て支援少子化対策」「貧困や格差の問題」「地方創生、東京一極集中の是正」「憲法改正」「震災復興、防災」「外交、安全保障」「脱炭素社会実現などエネルギー政策」「ジェンダー平等や多様性の尊重」「国会議員の定数や歳費の削減など身を切る改革」「政治とカネの問題」「米軍普天間飛行場移設など在日米軍基地問題」「行政のデジタル化」「選挙制度改革」「国会改革」「その他」……

 これだけわんさと項目が上がっているのに、「雇用」のコの字もない。眼を皿のようにして見直しましたが、ない。「雇用政策」だとか「雇用対策」「雇用のあり方」「雇用改革」等表現の仕方は様々ありうるかもしれませんが、それらしきものが全くあがっていないというのはいったいどういうことでしょうか?

 これじゃニッポンは沈む一方だなとつくづく感じた次第です。

☆雇調金の「出口戦略」って何?

 設問項目の不在をどう解釈すればいいのでしょうか?雇用の問題は政治マターではなく、人それぞれが頑張りなさいということなのでしょうか?

 その一方で、最近メディアでよく取り上げられている論調は、雇調金はもういい、ゾンビ企業を増長させるだけだ、出口戦略が必要だという手合いのものです。

 ちょっと待ってくださいよ。雇用調整助成金はそもそも、困っている立場の対象に向けて、申請に基づき給付をしていくものです。困っている状況が減少すれば給付も自然に減少するものです。それを「出口戦略」などと取り立てて言うこと自体がまことにうさん臭く感じざるを得ません。

 コロナ禍の厳しい状況が続いたなかで、どれだけこの制度があって人々が、そして日本経済が救われたことか。制度の構築に尽力した労働組合の先達に、あらためて敬意を表するというのがスジではありませんか?

☆メッセージも仕組みもない

 ことほどさように、雇用に関する議論は、その多くが的を外していると思わざるを得ません。

 それはなぜか?私は日本全体が「自己責任論」に埋没しているからだと思います。仕事ができないとか、職を得ていないとか、その結果貧困に陥っているとか、それはお前のせいだろうという感覚が日本全体を覆ってしまっているのです。これだけ就職情報がネットでもあふれかえっているのだから、それはお前のせいだろうと、錯覚してしまっているのです。

 経済的事情や仕事に関わる問題でどれだけ多くの人々が絶望の淵にいるのか、果ては、自らの命を絶っているのか?その事実を直視するだけでも、自己責任論の誤りは明白なのですが、それでも自己責任論は根深く、幅をきかせたままです。

 わが国はこの20年~30年、その場しのぎの政策の積み重ねだけでやりくりをしてきました。その結果が国際場裏での大幅な地盤沈下です。GDPも賃金も産業競争力も相対的に大きく後れをとってしまいました。雇用政策はそのおおもとにある問題です。

 自己責任論に人々が染まってしまっていることをいいことにして、政府は大事な役割を怠っていませんか?「国はあなたを路頭に迷わすことはしない」というメッセージが欠けているのではありませんか?だからこのニッポンにはそのメッセージを担保する仕組みもないままなのです。だから人々は、安心して、そして意欲を持って新たなチャレンジに向かうような気持ちになり得ないのです。賃上げどころか、多くの人々が我慢をし続けているのです。

☆このまま沈んでいくのか?

 雇用のセーフティーネットこそ問題解決の鍵です。生活保障や職業訓練とパッケージにしたセーフティーネットが必要なのです。北欧をはじめとする多くの先進国が実現させている仕組みです。彼らにできて日本ではできないという理屈はないはずです。

 私は、今私たちを覆っている自己責任論の根は深いと思っています。だからこそ、相当の意識をもってこれを引き剥がしていかないと日本の未来はないと思うのです。

 明日から参議院議員選挙がスタートします。候補者の皆さんには、たとえ設問項目になかろうとも、この問題をしっかりと取り上げていただきたいと切望します。

(了)