― 資本主義のカギを握るものとは ―

☆おせち番組だけではない年末年始

年末につくりだめされるいわゆる「おせち番組」が概して面白くない一方で、ドキュメンタリー等の特集番組が充実していることは大変ありがたいことです。最近のニュース報道は政府から流される官製情報やヨイショ的な伝え方が目立っているだけに、これら特集番組の内容が本質を外すことなく、私たちに様々な気付きを与えてくれていることに感謝したいと思います。普段見落としていることの多い私としては、良質な教材に恵まれ大変勉強になった年末年始でした。

  

☆「歴史的な分岐点」の気付き

いくつかみてきたなかで印象に残ったものの一つにNHKBS1スペシャル「欲望の資本主義2019 ~偽りの個人主義を越えて~」がありました。これは三年前から毎年のテーマ設定により制作されているシリーズです。2017、2018のバージョンとともに一挙放映され、大変充実した内容のものでした。世界の知性を代表する有識者のコメントはそれぞれが奥深いものであるわけですが、一編で二時間弱の番組で展開されたそれら全てをここで説明することはもちろんできません。ケインズVSハイエクの学説論争や新自由主義をめぐる綱引きの歴史、あるいはGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)のトータルの時価総額がドイツのGDPを上回るまでになった現代の様相等、一つひとつが分厚い中味です。しかしこれら一連の教材から得た気付きで、ある意味私が勝手に感じ取ったのは、私たちは、①資本主義というものを本当の意味で人類の役に立つものとしうるのか、ということであり、そしてそれは②民主主義を本物にし得るのかという点と軌を一にするものであること、そして③その世界史的な分岐点に私たちは存在しているのだ、ということでした。

  

☆美人コンテストではだめ、ギャンブルでもだめ

ケインズは株式市場を美人コンテストに例えました。言い得て妙な表現であるわけですが、しかし一方で番組はこの点をさらに掘り下げるなかで、現在の株式市場の抱える問題点を言い当てていたように思います。

美人コンテストは、トップを当てた人にご褒美が出るとなると、「自分が良い」と思う対象ではなく、「たぶん皆が良いと思うだろう」という対象に人々は投票する、というのです。他人の顔色をうかがうことに注力するというのです。

ここから先は私の頭のなかでの説を勝手に膨らませた言辞になり、話はやや飛躍するのですが、例えばわが国の足もとの株の乱高下などをみても、何かその種の自信の無さというか、主体性の欠如のようなものを感じます。自分の信念に基づいて、「この企業を」「この事業を」育てよう、という信念で投資をしているのであれば、ここまで右往左往しなくていいように思えるのです。

こんな感想は、その道のプロからみればなんとプリミティブな物言いかと思われるでしょう。私自身、投資といえるようなことはほとんどできていません。そもそもあなた任せのギャンブルのようなマーケットに対しては素人は怖くて手が出せないのが実情でしょう。

個人投資家が育たないというわが国の状況はこんな悪循環が災いしていることは事実でしょうが、もう一つ見過ごせない本質は、大半の大衆からしてみれば、いわゆる株式市場などというものは、「他人事」だということです。投資をしている人たちですら風頼みなのですから、さらに縁遠い人にしてみたら、全く関係ない世界なのです。

 

 ☆あなた任せでは育たない

ちょっと気の利いた金儲けのできる人間があっという間に億万長者になるのが現代社会です。その一方で圧倒的多数の大衆には資本主義の果実はますます無縁なものになってしまっている。これではマーケットは永久に育たないのではないでしょうか。ひずみばかりが大きくなり、ますますギャンブル化していくのではないでしょうか。

そしてわが国においてはこの「あなた任せ」は政治に対する無関心の増大と二重写しになっているように思えます。本来は私たち一人ひとりがプレイヤーのはずです。単なる観衆ではないのです。一人ひとりが主体的な主張のもとに関わっていくべきものなのです。

しかしそのことがほとんど忘れられようとしています。たとえ「コンテスト」であっても「いい勝負になる」と思えば投票者は増えるのでしょうが、「これじゃ話にならない」となれば、足そのものが遠のくことでしょう。

今年は統一地方選参議院選挙が続くという12年に一度の年ですが、今のままでは歴史的な低投票率になるという懸念を禁じ得ません。