― 春闘とマスコミ報道の奇妙な関係 ―

☆「官製春闘」からの脱却?

春闘に関する報道が盛んになる時期を迎えました。春闘が報道の対象になること自体は有難いことですが、そこに差し挟まれる論評には素直に喜べないものも多々あり、神経のとがる時期でもあります。

マスコミ報道によれば、今年は脱「官製春闘」なのだそうです。おかしな話です。「政労使春闘」ならばわかりますが、そもそも「官製春闘」はフェイクです。ありもしない「官製春闘」という名前を勝手につけておいて、そのうえで今年は「脱」だなどということ自体が意味を持ちません。意味を持たないだけで済めばまだしも、様々な害毒を流し続けてきたので困ったものなのです。

害毒その①。

世のなかの多くの企業経営者にとって、安倍総理が「賃上げを」と言ったところで「はいわかりました」という経営者がどれだけいたのでしょうか? もちろん経団連の会員企業等、名だたる企業の経営者は、マクロ経済との関わりを含めて総理発言の意味合いは受けとめたかもわかりません。しかし、日本全体で200万人を超えるであろう社長さんの大半は、マスコミが「官製春闘」と言う言葉を使えば使うほど「自分は関係ない」と思い、賃上げには踏み切らなかったのではないでしょうか。

害毒その②。

労使交渉を真剣に行っている当事者にしてみれば、「官製春闘」という言葉ほど、人を馬鹿にした言葉はありません。各労使の交渉当事者は皆、そのような表現を平気で使うマスコミを嫌悪し続けています。そして、そういうマスコミを遠ざけたくなるのは、人の自然な情というものでしょう。対照的に、政府側は心地よい。賃上げ回答を得たところの組合員には、「総理のおかげで賃金が上がった」という潜在意識が刷り込まれますから、政府側は心地よいでしょう。

政府とマスコミの蜜月はすすみ、官製報道も盛んになるので「官製春闘」というネーミングだったのでしょうか? そこから「脱却」するのであれば、それはもちろん望ましいことですが…。

 

 

☆トリクルダウン的思考に埋没したまま

私は、マスコミとの間のそういう不幸な関係をそのままにはしたくないと思っています。取材は必ず受けます。あらゆる疑問に向き合います。しかし残念ながら、先入観を持っている人であればあるほど、人の話を聞こうとはせず、どうやってケチをつけるかからまず入ります。一方的な持論を世にまき散らします。

先日、ある全国紙系の経済紙に「淡雪のごとく消える春闘」と題して、このままでは春闘がなくなるが、それでも「自社型の賃金決定に個々の企業が取り組めばいい」とする小論が掲載されていました。

世の中、中小企業にスポットが当たってくるなかで、「そろそろ賃上げしなければまずいかな」と思っていた企業経営者からすれば、涙の出るほどうれしい言説ではありませんか。「そうか、『自社型賃金決定』でいいのか。無理はすまい。賃上げはやめておこう。」。

ご丁寧に1975年の太田薫旧総評議長の「春闘の終焉」と言う言葉まで持ち出して、それがやってきたとおっしゃっているのです。この小論の筆者は、大手が威勢のいい金額要求をすれば、世の中全体の賃上げが向上するということしか考えられないのでしょう。インフレ時の春闘カニズムに根差した発想であり、トリクルダウン的思考に埋没したままとしか言いようがありません。私に言わせれば、そういう埋没こそが失われた二十年間を生じさせてしまったのであり、格差の拡大を生んでしまったのです。

時代錯誤では私たちは闘えません。「ほっとけばいい」という声が聞こえてきそうですが、そういうわけにはいきません。この経済紙は15万部ほどの発行部数があるようです。さらに、ネット配信されたものへの閲覧はこれにとどまらないでしょう。こんな言説から影響を受けた多くの中小企業の経営者がこれを言い訳にして、「自社型賃金決定」でステイされては困ります。だいたいが労働組合も存在せず要求も受けない社長の皆さんでしょうから。

 

 

☆論客を待望します

この小論は「絶対額で大手も中小も同額を獲得できるのならばよいが、そんな力が労組側にあれば賃金格差はとうになくなっていたはずである」とも述べています。私たちが、上げ幅だけではなく絶対水準にもこだわるとしたことに対するアンチテーゼでしょう。絶対額へのこだわりを「建前」とおっしゃっているのです。しょせん中小は大手を上回れないという発想なのでしょう。

ここ数年、連合のなかでは中小の賃上げ額が大手の賃上げ額に年々近づいており、肉薄をしています。ベアをカウントできるところは、既に逆転しています。ここ三年間は、過去20年間の格差拡大からの反転の趨勢にあるのです。

もちろん、ここから先が大変です。20年間に蓄積された格差は一朝一夕には取り戻せません。しかも、肉薄しているのは連合内部だけの話です。圧倒的に多くの労働組合不在企業においては、まだ賃上げ自体が絵空事でしょう。その構造を変えていかなければならないのです。私たちは、構造を変えていくための問題提起をしています。

「ひとりひとりの労働者は実際にどれだけの賃金を得ているのですか?」

「なぜ賃上げできないのですか?」

「取引慣行に問題があるのではないですか?」

 

真の論客を待望します。