あなたの労組の葛藤は?

 季節は初夏に入ったが「春闘」はまだ継続中である。連合の春季生活闘争の集計でもまだおよそ四分の一の仲間が交渉中である。マスコミの扱いはもうとっくに終ったモードであるが、実際にはまだまだ奮闘中なのだ。

 報道ではもう一つ大事なことが伝わっていない。今年の集計では一貫して100人未満の組合のベア率が昨年のそれを上回っている。さらに特筆すべきは大手組合のベア率をも上回っているのだ。もちろん絶対水準の格差はまだ大きいし、要求水準との乖離も直視しなければならない。しかし60年を超える春闘の歴史が始まって以来おそらく初めてであろうこの傾向が世の中に伝わらないことは本当にもどかしい。

 「春闘」は日本全体の壮大なイベントであるが、それを構成しているのは一つひとつの労働組合であり、それらが取り組んでいる一つひとつの労使交渉に他ならない。そして日常の問題も含めてそれら組織の中には様々な葛藤がある。人員削減や処遇の切り下げ等、守りを余儀なくされる場面にあってはなおさらだ。しかし現象面ですら伝わらないのだから、それら内なる葛藤が世に伝わることはほとんどない。

 親しい映画監督に私たちの葛藤をドラマに表現してもらえないかと相談したことがある。企画書があれば検討しますよとまで言ってくれたが、当方にその才と時間がない。人間としての苦悩や喜び悲しみ、仲間との連帯のありがたさ等々、これからも伝える努力は模索したい。メディアの世界の方々とも連携していきたい。

 ところで、メディアの労働組合自身にも様々な葛藤があると伝え聞くが、世に伝えられるのは表面部分のみで、深淵のところは闇の中だ。その一方では根強い大企業労組への批判的論調がある。私自身大企業労組の出身であるが、産業そのものの存廃が問われる状況のなかで数々の葛藤を繰り返してきた。そして今現在の立場は当然のことながら明確に中小優先である。政策は未組織労働者ファーストである。だからこそ連合加盟の大企業労組が供給してくれる厚みのある人材と財政支援はまことに貴重である。自分さえよければいいという独立の大企業労組とはわけが違う。

 そういった事実を捨象した、「大手」新聞の一部で繰り返される批判は何を目的としているのだろう。ローブローを含んだボディーブローの繰り返しは確実に労組のイメージを低下させる。一強政治を尊ぶ人たちは陰でほくそ笑んでいることだろう。