「いわれのない物語」を乗り越えて

小室眞子さんのワンフレーズ

 「誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、いわれのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚えるとともに、辛く悲しい思いをいたしました」

 小室眞子さんが、彼女自身の新しい立場を獲得された直後の記者会見で述べられたワンフレーズです。日頃ひとさまの結婚情報にほとんど関心のない私ですが、翌日の新聞紙面からなぜか真っ先にこの言葉が目に飛び込んできました。この表現は、質問に対するお答えでもたびたび使われていましたから、小室眞子さんが、いかにお辛い状況であったのか、そして今それを懸命に乗り越えようとされているのだということが、しみじみと感じられました。

 そうです。そうなんです。私も現役時代何度こういう感覚に襲われたことか。憶測や風聞が独り歩きするんです。いわれのない物語になってしまうんです。明らかに誤りであるとアピールしても、素通りされるのです。

 特に政治に関する事柄でそれは多く、ストレスも半端なものではありませんでした。おかげで私はすっかりマスコミ嫌い、政治家嫌いになってしまいました。(もちろん素晴らしいジャーナリスト、尊敬すべき政治家もおられますし、その方々とのお付き合いは一生ものだとは思っていますが。)

 

代表選は「最終局面」

 この種のマスコミ報道は、いわば世の常なのかもしれませんが、しかし、だからといってあきらめてしまうと世の中の進歩に大きな影響が出てしまう。よく使われる言葉ですが、政治に「無関心」ではいられても「無関係」ではいられない。狐とタヌキの跋扈する世界ですから人々から敬遠されるのも無理からぬところはありますが、さりとて政治の構造がまともなものにならないと結局その被害をこうむるのは私たち有権者であり、そして将来世代です。

 先の総選挙の結果を受けて、立憲民主党では代表選挙が行われることとなりました。

 気になる各社の報道ぶりがあります。「民主党政権時代に要職を担った人は退場すべき」というような雰囲気の伝え方です。

 この言い方はこれまでも見え隠れしていたものですが、私には、あまりにも「悪夢の民主党政権」という、いわれのない物語に乗っかってしまった論調としか思えません。

 次期代表・次期執行部の役割・責任は極めて重たいものがあります。単に一つの政党の浮き沈みがどうこうという次元の問題ではなく、本当の意味でかたやの選択肢足り得る政党、そのように有権者から理解される政党となれるのか否か、ひいては、今の選挙制度のなかで日本の政治構造をまともなものにしていけるのかが問われる最終局面といっても過言ではないでしょう。

 

何がうとまれていたのか?

 民主党政権と、そこにルーツを持つその後の野党の、何が有権者からうとまれているのか?そこをつきつめてリカバリーをしていかなければ、百年河清を待つ、となってしまう。そんなことではこの国は百年どころか、二十年、三十年も持たないのではないか、そんな気がしてなりません。

 何が有権者からうとまれているのか?最大の問題は、民主党政権が瓦解して以降のバラバラ感・ガタガタ感ではないでしょうか?もういい加減にこのバラバラ感・ガタガタ感に終止符をうたなければならないのではないでしょうか?

 それを実行できる人材は老壮を問わず、党内におられるはずです。民主党政権時代に要職を担ったか否かなどということは全くのナンセンスであり、本当に大事なテーマで求心力を競っていただきたい。もちろん、代表の顔は清新さであるとか知名度であるとか、そういった要素が幅をきかすことはやむを得ないとしても、執行部のなかにその役割を明確に担える人材を確保することは、今後に向けて欠くべからざる至上命題と考えます。

 先の総選挙では、一説には400万規模とも言われる、大量の「民主党」と書かれた票があったと言われています。

 その意味合いを、正面から受けとめてほしいと思います。

(了)