-世の中の進歩をどこに見出していくか-

☆それを言っちゃあおしまいだよ、なのですが…

 はっきり申し上げて、私はこの数年間、メディア不信・政治不信をどう乗り越えていくかに呻吟し続けているといっても過言ではありません。

 メディア不信はともかく、「政治不信」などとは本来私の立場から申し上げるべきではないかもしれません。各組織の皆さんに政治に向き合うことの重要性をことあるごとに強調している立場なのですから。それを言っちゃあおしまいだよ、と言われかねない話です。

 言うならば私の「政治不信」はメディア不信とも一体物の所産なのです。だいたい連合に関わるメディアの取り上げ方の多くが政局とリンクさせたものであり、そのこと自体が心外であるとともに、内容が多くの場合誤解あるいは曲解に基づくものなのです。

 取材も無しに書くケースも横行しており、既に報道された憶測報道を切り貼りして一つの印象を塗り込める記事もよくあります。たとえ取材をされても、記者の都合のいいストーリーにだけ一部を切り取り掲載されることもあり、一言一句に神経を使います。

 もちろん全部が全部ではありませんし、真摯かつ信頼できる書き手もいます。しかし世の中に多く出回る記事は玉石混交で、特に政治関係のものは「石」が多いこともあり「玉」と「石」の区別が世の中には見えづらくなっています。メディア各社の上層部にも、「石」で別に構わない、耳目さえ集めればいいという判断が一部にあるようですから、書き手が育たなくなる傾向も無理はないのかもしれません。

 それはメディアの常だ、という方もおられるでしょう。しかし、それに右往左往する政治家も少なくありませんし、私たち連合の組合員もそこでつくられた負の印象の影響を受けてしまうことが、何よりも重たい事実です。悪循環を断たなければ、働く者本位の社会づくりを目指す連合の取り組みが阻害されてしまうのです。

  

☆進歩のないコロナ対応

 そんなメディア不信の渕にいる私ですが、あきらめてはならじということで様々模索もしてきました。SNSへのチャレンジもその一環ではあるわけですが、しかしこの世界に対する不信もまた別の意味で大きな壁です。ツイッターフェイスブックもなかなか難物で、片手間の所作でうまくアピールできるほどの技量はありませんし、なまじ発信をしたところで多くの誤解曲解のリアクションに見舞われるのが関の山という感じです。

 それでもアカウントを持ち続けているのは、少しずつ増えてきた連合関係・労組関係の人たちの発信に「いいね」を打ったり、あるいは我が意を得たりという内容を拡散させてもらったり、そして時には貴重な情報や、前述のようなおかしな報道を拾うことができたりという効用があるからで、辛うじてこれらのことだけを、起床後の日課にしているところです。

 何せツイッターの場合だと140字という制限があります。もちろんそのなかでなんらかの表現をすることができないわけではありませんが、トランプ前大統領の例を引くまでもなく、そこではわかりやすい感情的表現はアピールできても、その背景や経緯を含めた詳しい説明・根拠を収めることは不可能です。したがって、同じ賛意、同じ反論であっても、実は全くの同床異夢である危険性を大きく内包しているわけであり、こういう短文前提の世界でやっていくことは、少なくとも今の私の状況では不可能です。

 そのような事情のなか、せめて字数制限のない世界で私自身の存念をオープンな形で表現したいということで以前(2018年12月から)このブログを始めたわけですが、いろいろあって、これもこの一年強遠のいてしまっていました。今回は、足もとの連休中の時間を利用して、久しぶりに文章をつくっているのです。

 そこであらためて過去のブログをみて感じたのですが、果たして世の中は進歩しているのだろうか、と思わざるを得ません。

 昨年3月のブログにおいて「新型コロナウィルスがあぶりだす社会の矛盾」と題してあげつらった「命と健康」「雇用と生活」そして「経済そのものの失速」等の諸問題の状況は、本質的になんら変わっていません。

 こんなに大事な問題を、未だに同じ文脈であげつらわざるを得ないような日本の政治とはいったい何なんでしょうか?わが国の社会には根本的な問題が横たわっているとしか言いようがありません。

  

☆明るい兆しもある

 一方では明るい兆しもあります。先月27日に連合が公開した意識調査「多様な社会運動と労働組合に関する意識調査」では、十代の人たちの意識が、これまでのこの種調査からはうかがい知ることのできなかった傾向をみせているのです。

 「社会運動(オンライン含め)への参加意欲」が69.5%と年代別では最高値、そして、「労働組合の必要性」については60.0%が必要とし、六十歳代に次ぐ数値、不要と答えた4.5%は最小値という結果には、頼もしさを感じました。

 正直言って、どうしてだろう?とも思うわけですが、18歳選挙権をきっかけとした主権者教育促進モードや、連合としても粘り強く働きかけてきたワークルール教育の浸透が背景にあるのかもわかりません。あるいは春季生活闘争働き方改革等の「本業」に関わる報道の影響もあるのかもわかりません。最近試みているネットでの発信も、これらの結果につながっているのかもしれません。

 時間がかかる話ではありますが、やはりこれからの日本社会の改革は、若い世代の意識の高まりに期待するしかありません。時間がかかっても、これが王道であることは間違いありません。

  

☆分断を誘うのは誰だ?

 しかし、そこに至るまで、わが国の社会は果たして持つだろうかという懸念も拭い去ることはできません。そのくらい日本の政治は、税財政をはじめとするわが国の大きな課題を先送りし続けてきています。そしてメディアも、大きな課題に関わる政策論争よりも、耳目をひく政局優先の報道を優先させています。

 2012年の民主党政権崩壊、そして2017年の希望の党騒動が未だに尾を引いています。明らかになっていない真実も未だ多くが埋もれたままです。分断を誘ったのはいったい誰なのでしょうか?

 分断を望んでいる人たちからすれば、未だに自公政権とは異なるもう一つの選択肢がしっかりと有権者の視野に入ってこないわが国の政治構造に大いに満足していることでしょう。しかし、それは何のための満足なのでしょうか?
 連合につらなる労働運動の歴史は、イデオロギーとの闘いを含め、政治の世界からの悪影響をはねのけ、政局のいざこざと一線を画してきた歴史です。

 団結だけが可能とする「力と政策」によって、世の中の進歩を見出していかなければなりません。

―新型コロナウィルスがあぶりだす社会の矛盾―

☆普段からの備えがないと直撃を受ける

 新型コロナウィルスの感染拡大は今、命と健康のみならず、雇用と生活、そして経済そのものの失速という広範な影響をわが国にもたらしています。冷静な判断と、迅速にして適切な対応が求められています。

 連合と関係組織の労働相談にも連日様々な問合せが殺到しています。一部の報道にも紹介されていますが、相談の主は、臨時教員・保育園(パート勤務)、サービス業で働く方々のみならず、フリーランス、イベント対応等で働いている雇用保険等の通常のセーフティーネットにカバーされない方々も含まれています。

 私たち連合からすれば、かねてから主張してきたセーフティーネットの重要性をあらためて痛感するところですが、今は直面している危機の回避に全力投球していかねばなりません。政府・政党への要請を重ねてきています。これらの方々に対する集中的な支援が実行されなければなりません。

  

☆わが国の社会に内在している矛盾が露呈

 かつての高度成長期にできあがったわが国の社会モデルにおいては、個々人の雇用と生活の保障を企業がかなりの厚みでカバーをしていました。しかし、その後のオイルショック、そしてバブルの崩壊によって、状況は大きく変わっています。引き金を引いたのは1995年に日経連が打ち出した「新時代の日本的経営」であり、そこで描かれた新たな雇用のポートフォリオです。結果として不安定かつ低処遇の働き方を増やしてしまい、いわゆる正社員以外の働き方をその後の20年余りで全体の約2割から4割近くにまで増やしてしまったのです。

 本来は、同時にセーフティーネットを構築しておくべきであったと言わざるを得ません。リーマンショックの時もそうでしたが、今回のようなケースが直撃すると、問題の大きさが際立って表に現れるのです。

 さらに注視すべきは、いわゆるあいまいな雇用といわれるギグワーカー、フリーランス、契約労働等の方々への支援措置です。政府はこれまで、セーフティーネットの構築を怠ってきた一方で、これらのあいまいな雇用の拡大を許してきました。責任をもって対処していかなければなりません。

 

 ☆取り上げ方は旧態依然

 一方2020春季生活闘争において、連合は分配構造の転換を目指しています。わが国においては、デフレ的状況が20年以上引き続いてきたなかで、不安定な雇用・あいまいな雇用の増大とともに、労働組合がなくて賃金制度のない中小企業で働く方々の格差拡大も依然として重たい課題です。2016年に連合として「底上げ」を標榜して以来、中小の組織もだいぶ賃上げが進んできましたが、これをさらに強化し拡げていきたいのです。

 3月13日の第一回集計では100人未満のところの賃上げ率が2.11%(昨年同時期と同水準)と、1000人以上の大企業の賃上げ率1.90%(対昨年同時期▲0.26%)をしっかりと上回りました。後続の中小組合に対して立派な見本を示してくれています。そして有期・短時間・契約労働者の時給上げ幅は30.49円と初めて30円台を越えましたし、率換算では2.94%のアップです。

 しかしいつも大企業・正社員の賃上げにしか重点を置かない大手マスコミの皆さんはこのことをほとんどとりあげません。昨年より全体の上げ幅が縮小したことや一部のベアゼロを殊更に大きく取り上げた見出しばかりが目立ちます。さらには経営側のいう脱横並びや、足もとのコロナの影響となんとか結びつけようとする様は、正直言ってゲンナリします。

 

☆分配構造の転換を止めてはならない

 そして大きく取り上げられているのはトヨタの「ベアゼロ」です。8,600円もの賃上げ水準がありながらベアはゼロだというのです。どうせ大きく取り上げるのであればもう少し中身や意味合いを掘り下げてもらいたいものですが、各社とも、経営側が言っていることをそのまま鵜呑みにして世間に流しているように思われます。

 

 率直に言って疑問だらけの内容ではないでしょうか?

疑問その①…2017年時点で明らかになっていた定昇(賃金制度維持分)は7,300円だったがいつの間に8,600円になったのか?3年の間に制度改訂がありさらに賃金カーブの勾配が立ったのか?

疑問その②…2018年以降、内訳のベア分は表示しないと言っておきながらなぜゼロのときだけ公表したのか?

疑問その③…8,600円という高水準の賃上げ金額は、本来経済の好循環に向けた相乗効果につなげるべきと思うが、なぜ殊更にベアゼロといって世の中にマイナス心理をまき散らしたのか?

疑問その④…定昇金額はトップレベルの高水準で、一時金は6.5か月の満額回答で、なぜ社会性の最も高い賃上げについてはベアゼロを強調するのか?

 

 分配構造の転換は、大企業や経営者団体が社会全体のことや公益性を重視するようにならないと成り立ちません。取引慣行の是正を含めて、連合は粘り強く取り組んでいきます。

 春闘は、公平・公正な社会構造を目指していくという意味でも、セーフティーネットを全ての働く者に張っていく営みと軌を一にするものといえます。コロナ騒動に埋没してはなりません。

-春闘報道、四つの落とし穴-

☆交渉期間はあっという間に過ぎていく

 連合の春季生活闘争、世の中のいわゆる「春闘」の本番が始まっています。続々と要求が提出され団体交渉がスタート。連合も構成組織(産別)も、方針は掲げますが実際の交渉を展開するのは単組であり、企業別の労使関係こそが具体的な結論を見出していくのです。

 第一の山場のゾーン(今年は3月10日~12日)での回答引き出しに向けて、交渉期間はさほど長くありません。私自身、交渉担当者であった当時を思い出せば、いつもいつも難しい交渉でした。その年々で重点やパターンは変わっていきます。厳しい寒さの早朝から夜遅くまで、明けても暮れても、どうやって最善の結果を引き出すかで頭のなかをぐるぐる回したものです。肉体的にも精神的にも辛い毎日ながら、交渉期間はあっという間に過ぎていきます。

 日本全体で毎年繰り広げられる壮大なイベントであるこの春闘ですが、そのあり方やメカニズムはワンパターンではありません。

 春闘報道の落とし穴、その第一は「前例踏襲の落とし穴」です。

 春闘に限らずですが、多くの報道にありがちなのは、一年前の今頃どういう報道をしたかを振り返り今年もこうだ…というパターンです。毎年の取り組みとなっている春闘ですから、どうしても前例踏襲に陥りがちです。

 しかし代表銘柄の回答をデカデカと取り上げてそれで春闘報道は終わり、という例年のパターンは、かつてのインフレ前提のメカニズムにおいてできあがったスタイルです。当時は確かにそれで全てを語ることができたでしょう。代表銘柄の回答実績を範としつつ同じような率の賃上げが日本全体に波及したのですから。

 しかし今は、あくまでも三月半ばのゾーンは、「第一の」山場の回答引き出しが始まったというひとコマでしかありません。この山場のなかでも、代表銘柄の一群のほかがどうなっているのか、あるいは第一の山場でできた土台が今後どう乗り越えられていくのか、ということに視線が集まらなくてはなりません。

  

☆経営発の落とし穴?

 もちろん報道する側も毎回同じパターンではいかにも能がないので、今年の注目点はこれだ、という工夫をこらすことでしょう。そのこと自体は必要なことですし、大いに腕を振るってほしいわけですが、その場合、くれぐれも本質を外さないように注意深く取り上げていただきたいと思います。

 特に今年の場合、「日本型雇用システムの見直し」だとか「一律ベアの見直し」などという経営サイド発の言辞を仰々しく取り上げる傾向が既にあるようです。

 そもそもマスコミ報道ではお上や財界等の、立場の強い方々の発言は大きく取り上げられる傾向がありますが、この「日本型雇用システムの見直し」や「一律ベアの見直し」などという言葉は、ことの本質を大きく外したものであり、「経営発の落とし穴」と言っても過言ではないと思います。

 実際の交渉当事者や、少しでも賃金制度や人事制度をかじったことのある人からするならば、今回出されている一連の言辞については、時代遅れか知識不足か、あるいは結局意味不明としか言いようがない、そんな受けとめしかされていないのではないでしょうか。そもそも最前線の労使関係においては、何年もの間に賃金制度・人事制度に知恵と工夫をこらしてきているのですから。

 「ジョブ型」などという表現も経営サイドから出ていますが、よくよく聞けばIT対応等の高度人材を高い処遇で確保したいということが背景にあるようです。そんなことはわざわざジョブ型などと構えることなくどんどんやっていけばいいのであって、春季生活闘争のタイミングで云々するテーマとは到底思われません。

 そしてまた、一律ベアの見直しなどという、賃金交渉と制度改定を混同したようなわけのわからない表現についても、記者の皆さん方はどう解釈されているのでしょうか?まさか一律定額ベアが標準パターンだなどとは思っておられないと思いますが。

  

☆座っていても得られる数値の論評は誰にもできる

 私が経営サイドの発の言辞の流布を懸念するのは、労働組合がないところの経営者が悪乗りをして意図的な賃金抑制や制度の改悪をする恐れがあるからです。「大企業ですら見直し見直しと言っているのだから」などと筋違いのこじつけや言い訳が横行して雰囲気を冷やしかねないからです。大企業幹部のきままな物言いが後続の機運を冷やすようなことだけはやめていただきたい。

 本質論議こそが重要です。3月の第一の山場を中心とした回答引き出しで、数字自体はわかりやすさを伴って世の中に出回ることとなります。しかし肝心なことはそこから先の長い期間にわたる回答群が、真に格差是正を実現しうるものとなるのか否かです。

 落とし穴の三つめは「既成の数値で満足する落とし穴」です。春闘報道でよく使われる集計数値として厚生労働省の民間主要企業賃上げ実績がありますが、ここでの数値は一部の大企業の回答実績でしかありません。連合は中小企業の回答実績を含めて7月まで集計を繰り返しますから、その状況を丁寧にフォローしていただきたいと思います。

 そしてさらに言うならば、目標水準に向かって格差是正を計画的に進めるような労使の先進的事例を掘り起こしてもらいたいと思います。座っていても得られる数値の論評だけではなく、一つひとつの労使交渉の持っている「ものがたり」を引き出してもらいたいと思うのです。

   

☆木を見て森を見ずでは日本全体がドボン

 四つ目の落とし穴は「木を見て森を見ずの落とし穴」です。これは最大の落とし穴と言えましょう。

 日本の企業の99%は中小企業です。日本全体の雇用労働者の約7割はその中小企業に所属しています。その方々にどれだけ賃上げが実施されているのか、賃上げがないとすればどのような阻害要因があるのか、取引慣行が災いしていないか等々、それらの実態を明確にしていくことが重要です。

 今年も連合と経団連のトップ懇談会は大々的に報道されましたが、3月なかばの連合と全国中小企業団体中央会とのトップ懇ははたしてどうでしょうか?前例踏襲の落とし穴にはまってしまえば今年もマスコミには取り上げられないのでしょう。

 急激な人口減少のなか、20年間に及ぶ平均賃金の落ち込みを反転させることができなければ、日本はしぼんでいく一方です。木を見て森を見ずの春闘報道はわが国のドボンを招くのみです。

ー「合流協議」について思うことー

 

 有権者の目線は?

 立憲民主党と国民民主党との間でのいわゆる合流協議が、両党幹事長間での段階を終え、年をまたいで両党首に引き継がれることとなっています。それぞれの当事者や関係者が熱い気持ちでこの問題に関わってきていることは当然で、そのこと自体は尊重されるべきですが、その熱さに比べて世の中の目線、有権者の目線が冷ややかであることも、一方では冷静に見極めておくことが必要だと思います。

 「どうせまたガタガタするのだろう」とか「元のさやにおさまるだけで反省もなしか」、「選挙目当て・金目当てに違いない」等々の厳しい反応は根強いものがあります。民主党政権がバラバラになって以降、やることなすことがマイナス方向に向かい続けた7年間でしたから、先の臨時国会における共同会派結成の日がまだ浅い中では、当然すぎる反応として見ておかねばならないと思います。

 一方でこの合流への動きの是非を問う世論調査の回答が、必ずしも「非」だけに偏らず「是」とする割合もそれなりにあることには注目すべきでしょう。しかしそれでも、合流に対する素直な期待が「是」につながっているとは思えません。そうではなくて、そこまで現政権に嫌気がさしている人が多いと捉えておくことが普通の解釈でしょう。両党にチャンスが巡ってきた原因は現政権の失態であり、この間繰り返されてきた忖度・隠ぺい・改ざんの疑惑の積み重ね以外の何物でもありません。

 それだけに今回ここでも協議が失敗し野党間の分断を深めてしまったら、多くの有権者はいよいよ「仕方がないから今の政治で我慢しよう」となるでしょう。それは両党にとっても日本の民主主義にとっても致命的です。私たちは長い道のりをさらに遠回りしなければならなくなるでしょう。謙虚さ・丁寧さが何より重要な局面にあると思います。

☆私たちが求めていること

 両党の協議に入るに際して先月18日にお見えいただいた枝野代表・玉木代表それぞれに、連合の立場から申し上げたことは以下の三点でした。

・二大政党的運営を理想とする私たちからすれば究極的には望ましい姿と言える。

・しかしこのことがまちがっても再びバラバラ感・ガタガタ感を招来することになってはならない。

・すでに共同会派に向けた動きのなかで要請してきたことと同じく、お互いの立場を尊重しつつ、丁寧にものごとを進めていただきたい。

 そして引き続き衆議院の各選挙区における候補者調整の促進と地方連合会との連携強化について求めてきたところです。

 当たり前の話ですが、政治の主役は主権者たる国民です。全ての選挙区において、多くの国民が納得できるような明確な選択肢が示されなければならないと思います。

 私たち連合は、働く者・生活者こそが主役の社会を求めています。そのことに全力をつくす候補者が、各選挙区で一本化されることは大変に重要です。今回の動きが政党の合流に向かうことももちろん大事なことですが、それよりも肝要なことは、この一本化作業において必要な「ふところの深さ」が、今後の運営を貫く基盤となりうるのか否かであると思います。

☆野党間の小さな違いではなく与党との大きな違いを目立たせてほしい

 政策面で不安視される問題もメディアでいくつか取りざたされていますが、この点もふところの深さが問われるところです。広範な有権者の目線に立って、そもそも何が大事なことかを見失わないでほしいと思います。

 例えばエネルギー政策です。この間両党は、結果としてお互いの間の小さな違いを目立たせてきた感がありますが、そもそも多くの有権者にとってはその小さな違い自体が差し迫った重大な問題とは全く映っていないのではないでしょうか?示してもらいたいのは将来のあるべき姿でありそこに向かっての工程表なのです。そのうえで、原子力エネルギーをどうするのか、地球環境の問題をどう受けとめるのか、といった骨太の点で政権与党との大きな違いを示すことこそが求められているのではないでしょうか。

 そうしてみたときに、かつて前身の民主党が確立していた政策は、福島第一原子力発電所のあの事態を政権与党として経験してきたなかであっただけに、非常に重たい意味を持っていたと思います。連合もほぼ同時期に、(2030年代とまでは特定しないものの)原子力エネルギーへの依存脱却を明確にする考え方を同様に確立し今日に至っています。現在の政権与党が依然として原子力エネルギーを20%強とする基本的考え方を継続している状況とは大きく異なるのです。

 ところで、市民連合と野党との間で昨年7月の参院選の際に示された「13項目」の政策を振り返ってみると、エネルギー政策については「福島第一原発事故の検証や、実効性のある避難計画の策定、地元合意のないままの原発再稼働を認めず、再生可能エネルギーの確立と地域社会再生により、原発ゼロを目指すこと」とされています。この内容は、細かな表現やニュアンスの違いを別とすれば、連合の考え方ともニヤリーイコールといえるものです。

 大きくまとまることの大事さに心を砕いたことの苦労をみてとることができます。

 これらのことを関係者は重く受けとめるべきと考えます。

☆どこに向けられたメッセージなのか

 よくあるステレオタイプの報道は、「電力総連を抱える連合は脱原発を容認しない」というものです。このこと自体が粗雑な取り上げ方で事実誤認であることは前項で述べたとおりですが、この種の報道の持つ問題性の重たさはさらに別のところにあります。この種のステレオタイプの報道が罪深いのは、困難な状況のなかで心血を注いで働いている電力総連の組合員の人たちの真情をなんらおもんぱかることなく、既に流布されているイメージだけを垂れ流していることにあります。

 電力総連の仲間にとって切実なことは、そもそものエネルギー政策の方向性自体を明確な根拠とともにしっかりと定めてもらいたいということなのです。そして、そこに向かってしっかりと政策資源を投入してもらいたいということなのです。さらに言うならば、必死に維持してきている働く意欲に傷をつけないでくれということなのです。

 与党も野党もその場しのぎの言辞にとどまっているような現状に対してこそ追及の目が向けられるべきです。ましてや、会社側の言い分を代弁する組織のように取りざたされることは論外であり迷惑千万です。働く者の視点に立ったメッセージを心より求めておきたいと思います。

☆世界と向き合うこと

このエネルギー政策も一つの典型ですが、日本は世界の潮流やニーズにあまりにも無頓着なのではないでしょうか?あの福島の事故を日本はどのように克服していくのか?世界の大きな注目に対してわが国はきちんとした姿をみせていく責任があると思います。しかし足元ではその国家的事業を支える政府の姿勢も社会的コンセンサスも心もとなく、人材をしっかりと育て確保していくような体制にあるのか等、極めて疑問です。

 そして地球環境の問題との整合性です。なぜ世界最先端の省エネ技術を持つわが国が「化石」などと揶揄されなければならないのでしょうか?

 いずれもわが国が内向きの、その場しのぎの政策の繰り返しだけで、世界に対するアピールも満足にできず、また理解されなくても仕方ないと言わんばかりの対応を重ねてきたことが、悪循環をきたしているのではないでしょうか?

☆「しぼんでいく国」としての危機感の欠如

 そもそもわが国は全ての問題において、せっかく持っている力をはっきするどころか、どんどんと「しぼんでいく国」になってしまっているのではないでしょうか?

 深刻なのは少子化・高齢化・人口減少の問題ですが、それだけではありません。

 約20年間にもわたるわが国の格差拡大・貧困社会の実態は、世界の流れとの隔絶とも相まって抜き差しならない状況をもたらしています。賃金水準も先進諸国との圧倒的な差を埋めるのは容易ではありません。大企業と中小企業の格差を拡げ続けてきた20年です。低処遇で不安定な雇用の姿を増大させ続けてきた20年です。ブラック企業なる言葉を人口に膾炙させてきた20年です。あげくのはてにギグエコノミーで雇用からの逃げ道を図る経営者が引きを切りません。(ここだけは世界の潮流にさとい)

 そうかと思えば、あまりの低処遇の実態から、せっかく専門資格を持っている人が大勢いてもそれが活用されない介護や保育の状況があったり、すり切れた雇用の実態からはじかれた無業者やひきこもりの人たちが増加し続けてきています。

 人手不足に悲鳴をあげて、あわてて外国人労働者に門戸を開いた形になっていますが、このような国にはなかなか来てもらえない実態もあらわになっています。

 税財政の問題も根本的なところにフタをしたままで、目先の支出削減策が毎年繰り返されるばかりです。雇用や生活保障のセーフティーネット等、欧州先進国の状況や先進事例とは無縁のままに行き詰っているのがわが国の実態ではないでしょうか。

 明確な海路図のないまま、先進国軍団からもはぐれたままの日本丸はいったいどこへ行くのか。そもそも政局の一つひとつに一喜一憂している場合ではないと思います。将来の姿がみえていないのです。

☆働く者ファーストで進むのみ

 分裂して小さくなっても依然としてガタガタしている人たちが再結集して本当にまとまれるのか、という声もあります。私は危機感さえしっかりと共有されれば、有権者の真の期待に応えるかたまりが形成されることは十分可能だと思います。

 しかし政治の世界につきものの怨念がどう災いするのかしないのか、不安も拭うことができません。前回総選挙の際の希望の党騒ぎで生じた怨念、そして分裂がきっかけとなって増幅されてきた怨念。しかし関係者にはよく考えていただきたい。あのときに話を破壊したのは旧民進党内部ではなく、外部の勢力なのです。メディアが一向に核心に触れないのをいいことに、今なお隠れたままとなっている外部の勢力なのです。そんなものに踊らされ続けて、怨念を乗り越えられなくていいのでしょうか?

 私たちは楽観にも悲観にも偏らず見守り続けます。結果がどうなろうとも働く者ファーストで前に進むのみです。団結こそ命です。

                         (了)

 

神津里季生の「おやっ?」と思うこと~労働組合とメディア論  ―新時代の春闘―

 

 

☆見え方の変化は大事

 前回に続いて新聞の見出しの問題を取り上げたいと思います。

 報道など一々気にせず「鷹揚に構えとけ」という声もいただきましたが、春闘に関わる報道は、経営者を含めて多くの関係者が強い関心を持っていますから、私としても気にしないわけにはいきません。

 連合としての議論のスタートはいつもこの時期です。2020春季生活闘争に向けた今年の基本構想は、先日24日の中央執行委員会で内容を確認し、11月6日の討論集会での補強・肉付けを経て12月3日の中央委員会で方針確立、各構成組織や地方連合会も連動して助走期間から本格的な方針策定に移っていきます。

 基本構想についての各紙報道の見出しは今回、いつもは嘆き節の私にとって、久しぶりに前向きな受けとめをさせてもらえるものでした。まず「最低時給1100円要求へ 連合初の明記」(24日産経、東京も同様)と出てから、翌25日には「企業内最低賃金1100円に 中小の待遇改善狙い」(読売)、「連合最低賃金1100円以上 初めて要求提示へ」(毎日)、「連合実額重視2年連続」(日経)、と続きました。

 私たちが2019の取り組みから、上げ幅のみならず絶対額重視を強調してきたことが、ようやく世の中にもつながりはじめたと実感をするところです。そして、たまたま知り得た静岡新聞の25日の見出しは「最低賃金1100円確認 20年春闘へ連合基本構想」というものでしたが、同紙の前日の見出しも上述の産経・東京と同様で共同通信の配信によるもののようでした。全国の地方紙にも一定の広がりがあったのではないかと思います。賃金格差は様々な要素がありますが、中央・地方の格差是正が重要なテーマであるなかで、このことは大きな意味を持ちうると思います。

 インフレ時代に出来上がった春闘という仕組みに対する報道は上げ幅のみを追いかける傾向が依然として強いのですが、デフレ脱却には格差是正・底支えの視点が不可欠です。実は今回の基本構想の考え方は必ずしも連合初ではないのですが、数値を含めた打ち出しをこれまで以上に深掘りしてきたことは事実です。見え方の変化は大事だとつくづく感じています。「1100円以上」だけではなく、「35才時1700円以上」をはじめとしたいくつかの実額とともにさらに目立たせていきたいと思います。

  

☆見せかけではダメ

 しかし当たり前のことですが問題は実行面です。何せ1955年に始まった春闘の営みの64年間の大半はインフレ前提での頭の回し方でしたから、デフレ時代の賃金のあり方に対応できていません。デフレの20年間には、労働組合がなくて賃金制度がないところの雇用労働者にとっては、いわゆる定期昇給すらないという状況のなかで実質賃下げが横行しました。連合の中ですら、中小のベア率が大手のそれを上回るようになったのはやっとここ数年の話です。「格差是正」や「底支え」と口で言うのは易しですが、行うは難しであることは間違いありません。だからこそ運動としてこれを進めなければならないのです。みんながその気にならなければ進まないのです。

 ここでいう「みんな」とは誰でしょうか?もちろん労働側が一丸となってその気になることが出発点ですが、それだけで日本全体の賃上げが実現するわけではありません。経営者はもとより、世の中全体がその気にならなければ進みません。社会全体の問題意識が乏しいままでは、労働組合がないところの経営者の重たい腰もなかなか上がらないでしょう。そして格差拡大の背景に重くのしかかっている悪しき取引慣行の是正も進まないでしょう。

 そういう意味では2013年と2014年の秋に総理官邸で行われた「政労使会議」がその後途絶えたままとなっていることは非常に残念です。日本社会が必要としている格差是正や底支えを進めるためには、政労使の共同発信の場は極めて重要であり、何度も何度も三者が同じ認識を言い続けていくべきなのです。

 官邸にしてみれば、一強政治のポジション継続という命題からすれば政労使会議継続は不必要なことだったのかもしれません。ましてマスコミから「官製春闘」などと持ち上げられればなおさらです。賃上げは安倍さんのおかげだと思っている人たちが世の中にはあふれかえっているのですから。しかし「今年の賃上げは**%」だったなどという物言いは、実は日本全体のなかでは一部の限られた範囲のことでしかありません。そこを取り上げているだけでは格差是正や底支えは一向に進まないのです。見せかけではダメなのです。

  

☆世の経営者に問う

 2020春闘、連合としてやるべきことを整斉と進めていきます。特に私の立場から申し上げたいのは、「やはり労働組合が必要でしょう」ということです。今回の基本構想でも組織の拡大に言及していますが、まともな形で賃金を上げようとするならば、労働組合があって労使関係が機能することが本来的に必要です。

 労働組合という傘を持たない全ての方々に呼びかけたいと思います。ブラック的経営者であればすぐにでも労働組合をつくりましょう。一人で悩まずに電話相談をください。(0120-154-052;フリーダイヤル・イコウヨレンゴウニ)一人でも入れる受け皿も持っています。

 「うちはブラックというわけではないが賃金はあがらないなあ」という方は、なぜ上がらないかを一緒に考えようじゃありませんか。労働組合はそのためのバネ力になります。前向きな経営者であればそちらにもプラスになる存在だと思ってください。

 そして経営者の皆さん。働く者の実感を聞いてください。切実な思いを受けとめてください。

 もちろん大企業の経営者の皆さん方も「これまでだいぶ上げてきたからここらで一休み」などと考えないでください。デフレ脱却がここで腰折れしたら今までの苦労は水の泡ですし、企業経営にとっても結局は大きなマイナスです。企業グループ内の格差是正と底支えを明示的に実現するとともに、ここまでの流れをより強固なものとしてください。私たちは「上げ幅」にも引き続きこだわりを持っています。

 ここのところ何か「予防線」を張っておられるかのようなご発言もあるようですが、大企業のことだけを考えた消極的な賃上げスタンスは、社会全体の危機を極大化していく行為に他ならないと思います。

― 新聞で得られるものは何なんだろう? ―

 

台風19号について

 台風19号が日本列島に深い傷跡を残していきました。命を落とされた方々のご冥福を祈るとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げます。連合としても、構成組織・地方連合会とともにできること、やるべきことを連携・実施すべく、対策本部を設置しました。被害状況の集約とともに、カンパの実施、ボランティア等の被災地ニーズへの対応を図っています。また、被災企業における労働基準法・労働契約法の遵守に向けて問合せ窓口を設置し、Q&Aをホームページに掲載しました。

 そして、連合とはいわば兄弟の関係にある労金やこくみん共済coop(全労済)も支え合い・助け合いの取り組みを展開しています。こくみん共済coopは、ここ最近の災害多発傾向の中で、またもやの緊急動員、被災状況の調査から共済金の支払いまで、まさに獅子奮迅の毎日です。

 一方で、報道の一部には治水事業の限界を強調し、転居を含めた自己防災中心への発想の転換を主張するものも見受けられます。しかし、そもそも、治山治水は古今東西を問わず政治の要諦のはずです。政府には、今回生じた一連の問題を、しっかりと検証してもらいたいと思います。財政赤字を背景とした治山治水や行政要員の削減・不安定化、あるいは自己責任論を背景とするような主義主張が、国土の災害耐性を劣化させ、人々の不安を増大させるようなことはあってはならないと思います。

  

☆見出しはやっぱり・・・

 台風関連やラグビー人気のかげに隠れた感はありましたが、10月10~11日に行われた連合の定期大会も報道で取り上げられました。予想されたことではありましたが、全国紙の見出しは、連合の状況をマイナスイメージで取り上げるものが多かったようです。「連合30年 かすむ存在」(朝日)、「連合、野党分裂で迷走」(産経)、「連合30年 非正規対応おくれ地盤沈下若者そっぽ」(毎日)、「苦難の三期目 野党分裂 存在感下がる」(読売)。毎日の報道は中身をみると、組織人員の回復(2007年665万人→現在701万人)等、プラスの側面にも触れてはいるものの、見出しは横並びのマイナスモードです。

 私は昨年あたりまでは、大学で寄付講座の講義をするときに意識して「新聞は読んだ方がいいよ」などと言いつつ、学生の新聞購読者がどれだけいるものか確認してきたものですが、最近は二つの意味でインセンティブをなくしています。一つには、二十歳前後の新聞購読者がほとんどいない事実はもう変わりようもないこと、そしてもう一つは、なんでこんな一面的な報道をされる対象である私が一生懸命、新聞の「良さ」を説明しなければならないのか、という率直な気持ちです。

 まっとうな批判は歓迎しますが、直接の取材もなしに周辺情報だけを拾い上げて自らのストーリーにハメるやり方はつらいものがあります。今や、私自身が一般紙を広げて目を通す際の意識は、「また変な見出しやおかしな解釈はないか?」という「チェック」を主眼にしたものとなっているのであって、何か新しい事実を知ろうという動機はほとんどありません。既にネットの世界で最新の情報はあふれていますし、最近始めたツイッターでは全国紙・一般紙が扱わないような貴重な情報も日々飛び込んできます。

 ただし、若い人の新聞離れの一方で、この種のけばけばしい見出しはときにヤフーなどにひっかかります。(それを狙った見出しかもしれません)そして、高齢層に対する新聞の影響力はまだ根強いものがありますから、政治に対する関心が相対的に高く、投票率の高い数百万人の読者の方々には、連合はダメだという風評がその都度まき散らされるわけです。

  

ツイッターで知ってもらう

 的を得た批判ももちろんありますから、それらに対しては謙虚に耳を傾けます。しかし看過できないのは、現場の地道な努力が素通りされることです。

 私はいつも定例記者会見で、様々な現場の努力を紹介してきています。最近、特徴的なものとして言えば、闘争中のベルコ労働組合(連合北海道経由情報労連に加盟)に対する連合本部の支援、そして先般の佐野サービスエリアの労働組合の連合栃木加盟、あるいはウーバーイーツの労働組合全国ユニオンが支援)の発足、ブータン人留学生の労働組合発足とJAM四国への加盟等々、都度詳しくお話ししているのですが、連合がこのようなことに関わっていることは、全国紙の皆さんの日頃描いているストーリーにははまらないのでしょう。連合の電話相談ダイヤルには年間で約15,000件もの相談が全国から舞い込みますから、実際には、苦境にある方々に手を差し伸べているケースはもっと山ほどあるのですが、世の中には全くといっていいほど知られていません。

 私は、これからツイッターでもっと図々しくアピールしていくことが必要だと思っています。先日の報道では、私のフォロワーの数の少なさにも言及していただいたようですが、そもそも「労働組合」や「連合」の存在自体が、若い方々の意識の中に希薄なことも承知をしています。その克服も含めて、努力する甲斐は大いにあると思っています。

― 私たちの目指す国家像とは? ―

 

☆つぶやきは少ないが

 「ツイッターの光と影」というタイトルで前回のブログを出してから、あっという間に一ヶ月半が立ってしまいました。短文での気の利いたつぶやきは、まだ不得手です。本業に費やす時間との関係で発信の頻度もままなりません。しかしそんななかで先週は、思わぬ反響がありました。最初の発端は12日の定例記者会見からの報道です。

 NHKのWEBによる「共産党とは目指す国家像異なる」という見出しのニュースがツイッターで取り上げられ、この記事に対する方々のつぶやきが、かなり反響を呼んだようです。

 実は、私自身はこの件についてツイッターで一言もつぶやいていません。短文表現がまだ不得手ということもありますが、この件はそもそも短文で済ませられる性格のものではありません。まして、連合という存在に対する世の中の理解があまり進んでいない(そのこと自体は私の努力不足ですが)、そんななかでは、短文表現はさらなる誤解を生じかねないと思っています。

 取り上げた方々のつぶやきは様々です。お定まりの罵詈雑言スタイルもあるなかで、おだやかに「連合の目指す国家像とは?」というものもありました。このような問いに対してきちんとお答えすべきと思い、キーボードをたたくに至った次第です。

 

☆目指すべきは「福祉国家

 一言でいえば、私たちの目指すべきは「北欧型の福祉国家」だと思っています。ここで北欧型というと「やっぱり連合は消費増税推進派だな」と思われる方も多いでしょう。確かにスウェーデンをはじめとする北欧諸国の付加価値税(消費税)は25%程度と、わが国に比べてかなりの高水準です。これまで、政策要請の全体像を抜きに一部が切り取られて報道されてきたこともあり、連合の姿勢はひたすら増税を求めているように誤解されていますから、「北欧型福祉国家」と言ったとたんにそう思われかねないと思います。

 しかし、目指す国家像のコアの部分はあくまでも「福祉国家」です。この二十年来、わが国にかなり沁みついてしまった新自由主義的な考え方や自己責任論とは対極の、皆が負担しあい、皆が生活保障を享受する「福祉国家」です。資本主義という体制の弱点を克服し、富の偏在を是正し、一人ひとりが活き活きと暮らしていくためには、この種の「福祉国家」を目指すべきであり、北欧諸国はそれを実現しています。

 そして、私はそのための負担(=税)のあり方を、ハナから消費増税だけに決めつけるべきとは思っていません。消費税ゼロでも良いでしょう、福祉国家を実現しうる財源さえ確保されるのであれば。消費税単独の問題で云々するのではなく、所得税法人税、そして資産課税や金融取引税等々、ベストミックスが追求されてしかるべきです。

 問題なのは、この点が与党からも野党からも責任を持った形で提示されていないということなのです。私のようないわゆる「逃げ切り世代」からすれば、消費税ゼロは誠にありがたい話です。しかし、それで本当にこれからの若い世代が生きていくうえで大丈夫なのでしょうか? 若い世代が安心して暮らしていけるような「福祉国家」と、それを支えうる税制の姿がサッパリ見えません。政治家の皆さんには責任を持って提示していただきたいと思います。

 

☆「共産党」は正しく理解されるべき

 さて、その北欧はおもに社会民主主義政党の政権が福祉国家を実現してきました。他のヨーロッパ諸国においてもドイツの社会民主党や英国の労働党等、いわゆる社民勢力がしっかりと力を発揮しています。連合が30年前の結成以来、一貫して求め続けているのは、わが国におけるこのような期待を担いうる政党の確立です。

 そして、このヨーロッパの社会民主主義とは、共産党が目指す共産主義の前段階として位置づけられている社会主義とは全く異なります。共産党の方々はどちらも同じようなものだとして括られるのかもしれませんが、私たちはそういうわけにはいきません。歴史上にあらわれた数々の共産主義国家が、事実上、一党支配の独裁国家となってしまってきていることが明らかな中で、この点の曖昧さは許されないと思います。その区別を明確にしておくことは、政治に直接携わる当事者はもとより、政治の大事さを訴えるすべての方々が外してはならない責任なのではないでしょうか?

 

☆共感の輪が拡がる筋道を

 今回の発端となった記者会見の模様は、連合のホームページの「RENGO-TV」にアップされているので、是非そちらもみていただければと思います。現政権の問題点や一強政治の弊害についても詳しく発言しています。そして、それを報道で取り上げたのは共産党の機関紙「赤旗」だけであるというのも、皮肉と言えば皮肉な話です。大手マスコミは大概の場合、野党勢力の分断につながるようなネタ探しに注力されているようで、私が力説する話は素通りされることが多いのが残念です。そのへんを一番ニュートラルに、常日頃から報道してくれているのは、実は赤旗なのです。

 今回の報道はNHKのWEBによるものですが、これとても質問されたから答えたのであって、決して私の方からわざわざ強調したくて発言しているわけではありません。そして、この種の話のときには必ず補足する「政治の世界の方々が選挙の際に様々な連携を模索すること自体はありうべし」という趣旨をこのときも述べているのですが、そちらはたいてい捨象されるのです。

 私は、現在の一強政治の流れが良くないとする有権者は相当のボリュームで実在していると思っています。しかし、その受け皿がないのです。民主党が分断されたままで、共感の輪が大きくならないのです。そんななか、共産党の言われる「野党連合政権」が実現したとしてその輪は拡がるでしょうか? 意図と相反して、むしろ政権の座は永遠に遠ざかっていくのではないでしょうか。

 私は、共産党にはその綱領と党名を改めて、福祉国家を「究極の」目標とする輪に入っていただきたいと切望します。「民主集中制」の名のもとに将来的な独裁国家が暗示されている限り、協力して選挙をたたかうということにはなり得ません。