木を見てそれを森にしてしまう人たち

 久々にブログを更新します。

 実に5か月ぶりで、その前は1年2か月あいていたので、1年7ヶ月で一回しか更新していなかったというわけです。言ってみれば使用料垂れ流しだったわけで、もったいないことをしていました。

 今月の6日に連合の会長を退任する前は時間の制約も厳しく、またいろんなことがありすぎで簡単に表現できないという事情もありました。後者の問題は全て解消されるわけではありませんが、しかし、自分が経験してきたこと、知り得てきたことの上に立って、「おやっ?」と思うこと、思ったことを述べておくことは、ある意味自分の務めとも感じています。

 

<女性会長は歴史の必然>

 その手始めに、今回話題を呼んでいる「連合初の女性会長」誕生に関して一言述べておきたいと思います。

 私はこれは一言で言えば「歴史の必然」であったと思っています。連合は二年前から運動方針で「ジェンダー平等・多様性推進」を柱の一つとし、その真ん中に据えてきました。当事者一人ひとりの状況に寄り添うとともに、社会の発展を阻害している根幹の要因として、なんとしても課題を克服していかなければなりません。加えて、方針確立の矢先にわが国社会を襲ったコロナ禍は立場の弱い方々により厳しい状況を生じさせ、ジェンダー平等・多様性推進の必要性・切迫性を際立たせています。

 これらの認識醸成による素地があったことに加えて、チャンス到来に応え得る、「芳野さん」という人材がそこにいたことが今回の誕生劇を実現させました。 

 もちろん、歴史の必然がいつおきるかということは一筋縄ではいかないことですから、組織全体が今回の誕生劇を必然としていたなどとは、さすがに言えません。しかしいくつかの報道にみられるように、役員選挙直前のタイミングのぎりぎりになって苦し紛れに出てきたアイデアというような性格のものでは全くないということは明言しておきたいと思います。

 私自身は役員推薦委員会の一員ではありませんから議論そのものの詳細を知っているわけではありません。しかし節目で委員会からのヒヤリングを受ける立場からしても、少なくとも、6月の段階で有力な選択肢として認知されていたことは明らかだと思っています。そのくらい前向きな検討がされていたということは、ご本人を含めた関係者の名誉の観点からもはっきりさせておきたいと思います。

 

<木を見てそれを森にしてしまう人たち>

 私がこのことを明らかにしておきたいというこだわりには理由があります。

 マスコミの方々が連合の役員選挙に大きな関心を持たれ、それを記事に取り上げるということ自体は、好むと好まざるとに関わらず、連合サイドとしても覚悟しておかなければならないことでしょう。その一方でマスコミの方々には、一組織の人事問題をああだこうだといって取り上げる以上は、そこに一定の責任が生じるということも認識してほしいものだと思います。

 今回役員推薦の結論付けに至るまでに時間を要したことの理由付けを「立憲民主党と国民民主党に支持が分かれてしまっていること」とした記事が出ましたが、どこからそんな話がつくられるのか、全く理解に苦しみます。

 わからないことはわからないとするべきで、取ってつけたような理由をこんな大事な問題の解釈にすることには本当に腹が立ちます。しかも、その解釈を後追いする報道機関もいくつか出てきたことで、世の中的にはこれが定説になってしまう。さらにはそのことを前提にした社説まで出てくる始末です。

 そういう記事を出した方々は、その解釈と今回の結論がどう結びつくのかということまできちんと説明すべきではないでしょうか?もう少しきちっとした取材を重ねれば本当の理由はわかるはずなのに、その王道を回避し、組織にとって迷惑千万な解釈に誘導する人たちには何か特別な意図があるのでしょうか?それともそこまでやる気がないだけの話なのでしょうか?あるいは何かの忖度なのでしょうか?

 マスコミとの関係については、役員推薦委員会の委員の方々は終始神経をとがらせ続けてきたわけで、緘口令をかいくぐる取材が簡単でなかったことはわかります。しかし周辺のぺらぺらしゃべる一部の関係者の言説だけで物事を組み立てるようなことは、これからのメディアの世界で生きぬいていこうという人たちのとるべき途ではないと思います。

 「木を見て森を見ず」という言葉はありますが、木を見て、しかもその木は森の外の木であるにも関わらず、森にしてしまうことははっきり言って「誤報」です。

 森の中にある木を探り当てて、そこにある真実を報道してもらいものだとつくづく感じています。ジャーナリストでもない私がそこへの言及の是非に思い悩むようなことにさせないでほしいと思っているのです。

                                (了)